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大学の単位制度について疑問がある。


どうやら1単位あたり授業時間と自主学習・課題などを含めての学習時間が90分くらいであるということになっているらしい。


つまり、1コマ90分2単位という講義があるのは、その講義のために更に90分を予習・復習・課題に費やしているという計算らしいのだ。


ここで、疑問を投げかけたいのが私が今受講している「基礎化学実験」である。おそらく「物理学実験」にも同じ事が言えそうだが、まだ履修していないのでここでは扱わない。


「基礎化学実験」は週に2コマを費やして化学実験をする授業である。2コマを費やすのに2単位しかない。

この時点でコストパフォーマンスの悪さが感じられるが、まだいい。

タダで化学実験をさせて貰えるならお得じゃないかという貧乏根性で履修登録をしたのだが、これが悪夢の始まりであった。


実験授業が180分2単位であるのは授業時間外での自主学習が困難であることに因るらしい。

しかし、本当にそうであろうか。実験授業にはレポート課題が付き物である。レポートの考察無くしては実験をする意味がないのだ。

ところが、化学実験では現象を目の当たりにするだけ、考察をするためにも自分で考えるというよりはインターネットや書物を読み漁り、様々な化学反応式や化学的性質を学習した上でしか書くことが出来ない。単なる計算などで解決するのは無機定量実験だけだろう。

そう、大学入試の化学の延長線上にあるような化学の勉強をしなければならないのである。

さらに、予習も要求される。化学実験を意義あるものにするためには、如何なる反応が進行しているのか把握しながら観察するのが最良である。そうなると、予習段階でも相当の調査を要する。


これらの結果、授業時間外の学習時間も更に180分は要する。先程も予習に80分を要した。


確かに私の要領の悪さに起因するのかもしれないが、これらを授業外の学習に含める程度には達していないと言うのならば、大学側は私達にどれほど濃厚でハイレベルな自主学習を要求しているというのだろうか。

微分積分学の講義は2コマで4単位であるが、自主学習時間は週に180分も費やさないだろう。さらに人文系科目となると、予習時間は激減する。それでも単位をもらえるのである。


実験授業は大学としてもカネのかかる講義だからコスパを悪くすることで履修者をなるべく少なくするという魂胆が感じられないわけでもない。

だが、本当にこんな状況で「俺もう無理やし化学実験切ったわwww」という生徒を量産していて良いのだろうか。
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「またなのはネタかよ、いい加減にしろ!!!」という声が聞こえてきそうですが、またなのはネタです。


いやね、今晩はおとなしく寝ようと思ってたんですよ。でも、そういえば先週買ったSnow RainをまだiTunesに入れてない、ひいてはiPodに入ってないということで、慌ててインポートしたんです。


始めて落ち着いて聞きました。


涙が出てきます。


なにせ「魔法少女リリカルなのは」は現在の僕の原点みたいな作品ですし、そのなかで一番好きなキャラクターの一番素敵なシーンを歌った曲ですから。その上劇場版ではこのシーンで流されるという粋な演出。

思い出さずには居られません。このあたりから僕の人生観は大きく変えられました。


なのはで人生観が変わった人間なんてあんまり居ないのでしょうが、僕の場合は「魔法少女まどか☆マギカ」のようなあからさまな作品(これは決してマギカを貶しているわけではない)よりも、「魔法少女リリカルなのは」のような普通の作品を変に深読みすることで影響を受けるということが多いみたいです。

つまり、人から押し付けられるのが嫌いで、自分で解釈して納得したことで変わっていくと言いますか。


そんなわけでこの曲は特に思い入れが深く、聞く度にあの頃の感動が蘇ります(※あの頃=高校一年生の終わり)

急に思い立ったらブログ書くっていうのは止めたほうがいいですよね。毎日書くように努力しましょう
おかしい、明日というか今日は1限から講義があるはずではないか。


家から大学まで片道1時間半ほどある。つまり7時20分には家を出なければならない。


さらに明日はとある雑誌の取材が夕方から入っている。


さらにさらに、木曜日が提出期限のレポートもある。あのレポートは鬼畜と有名な講義の課題で、前半だけはひとまず終えたが、皆の話を聞く限り後半がA4レポート用紙三枚、人によっては5枚になったというから、これは時間を割きたい。


今日この時間まで起きているということは明日の放課後は意識朦朧とすることは間違いない。つまり、THE END


一回生四週間目にして、早速モラトリアムを楽しむべきか本気で考えなければならない時が来たようだ。


じゃあ、寝る。とにかく寝る。おやすみなさい
嗚呼、どうして私はこんなにも鈍くさいのか。


今日、自転車で七条通を東進していたときのことである。

車道を走っていたのだが、後ろから大型車が来たため、進路を譲ってやろうと気を使って歩道に乗り上げようとした時である。


!!!!!


一瞬何が起こったかわからなかった。気づくと下半身が自転車とくっついたまま、歩道の中央部へ向かって空中を浮遊していたのである。

歩道と車道の間に段差が見えなかったので、この事態は想定外だったのだ。


交換されたばかりのブロックは真っ白で、それなりのスピードで走っていた僕からは段差が視認できなかったのだ。


被害状況というと、自転車の方はカゴが歪んだのと、泥除けが歪んだものである。しかし、カゴば二秒で元通りになった。叩けば戻ったのである。さすがはママチャリである。泥除けはどうしようもなかったので後日、ドライバーを持参して修理しようと思う。

身体の方だが、こっちが問題だ。一年間の浪人生活で弱った身体が横転という物凄く無理のある運動をさせられたのである。

当然、身体はボロボロになった。まず、膝を擦りむいた。長ズボンを履いていたのにである。

つまり、長ズボンが犠牲になった。


次に、左手親指内出血である。キーボードを打つのにも左手親指が使用不能で非常に不便している。

右手は甲から出血の傷であるが、軽傷であり、明日には治りそうなものである。

さらに両方の二の腕について、動かすたびに激痛が走る。これが辛いし、明日からは黒ずんで打ち身になると思われる。バナナの打ち身みたいになるのだ。

さらに、足については右足だけ痛みがあり、膝を痛めてしまった。火曜日のスポーツ実習は少しラクな運動で勘弁させてもらおう。


そんなわけで、全身傷だらけとなった。自転車で転覆なんて前回はいつだろうか。記憶に無いほど昔のことである。昔ならきっとこんな傷、一瞬で治っていたのだろうから、年をとるというのは怖いものである。
こんばんは、眠たいです。

唐突ですが、大学生になってアニメを見ても主人公が高校生でウハウハしてるだけで、どうもリアリティがなくてつまらないと感じるようになったことありませんか?

・・・ありませんか。


私は浪人時代もしっかりとアニメを見ておりました。なにせ入試のシーズンである今年の1~3月期にも11本/週を記録する程度にはアニメが好きでした。

それが今はどうでしょうか。確かにレコーダーには、4月初頭、つまり大学生にはまだなっていない時期に予定した16本/週が録画されているのですが、見たアニメはたったの2本。それも両方1話止まり。

もちろんこの二本は今期の本命なので2話以降もしっかり見て行きたいとは思っているのですが、どんどん溜まってます。

とは言いながら、4月に入ってからアニメ映画は2本も見ているので、決してアニメが嫌いなわけではないです。2本の内訳は「花咲くいろは」「STEINS;GATE」で、前者は雰囲気が気に入ってるので嫌になりませんし、それどころかもう一度見に行きたいと思っているほど好きです。後者については主人公が高校生でないので冒頭の根拠でのつまらなさというのは当然無く、ここでは相応しくないかと。

そういえば3月までやっていたアニメでは「氷菓」が好きでした。世間の評判はイマイチでしたが、浪人で荒んだ私の心にはあのアニメこそが精神安定剤の役割を果たしていたような気がします。
見ると心が落ち着くのです。それで、二回ずつ見てました。

アニメを語ってもしかたがないのですが、大学生になって急に価値観が変わった気がします。浪人時代は「浪人してた頃のことなんて忘れねぇだろww」とか思ってたのですが、いまでは浪人時代の憂鬱な気分もはっきりとは思い出すことができません。
ただ、「(浪人時代は辛かったなぁ・・・)」という漠然とした思い出が塊のようになって残っているだけです。

高校生から浪人生になった頃にはさして大きな心理的変化はなかったので、やっぱり浪人生から大学生への過渡期には精神構造が大きくトランスフォームするようです。

最近はいろいろ楽しくて仕方がありません。相変わらず大学では大して友達は出来ないのですが(爆)
今日はサンジハン!に起床しました。
早起きだって??

冗談はその辺にしておいて、15時半起床でした。なんと13時間半睡眠ですから、よく寝たものです。

先週はなにかと疲れまして、連日ほぼ5時間睡眠が限界でした。そのせいか、ほとんどの講義でも眠たくて辛かったわけですが、これではいけないと思って目覚ましをセットせずに寝てみたんですね。
そうすると13時間半もぶっ通しで寝続けるという結果に陥るのです。

さて、それでも今日は樟葉ロフトへ手帳を買いに行こうと予定していたので家の玄関まで出たのですが、雨。

気分が萎えました。頭も痛かったです。しんどかったです。


いやでも、手帳は今日買うんだと決めていたので、母と妹がイオン大日に行くというから付いていくことに。車だから雨知らずです。

そして、未来屋書店で手帳を色々見ていたわけですが、結局決まったのがコレ。

手帳:2013年4月始まり No.973 リングダイアリー (バーティカル) <黒> || 「手帳は高橋」高橋書店 http://www.takahashishoten.co.jp/notebook/978-4-471-72973-8.html


いやぁ、手帳なんて時代遅れな・・・。と仰るのもよくわかりますが、諸事情がありまして、近頃は書き込む予定が山のようにあるのです。

そういう状況でこそ、Googleカレンダーが便利だと意気込んでいたのですが、やはりこれでは頭の中に予定が整理されないのです。

私の頭は随分とレトロな構造をしているようで、手帳の月間欄に書き込んで初めて脳内のカレンダーにも予定が整理されていくのです。

現代のハイテクピープルにはアナログ人間といわれるかもしれませんし、昔の僕なら迷わずそのように詰っていたでしょう。

しかし、いざ今の私のような状況になったらみなさんもきっと手帳の必要性を感じると思いますよ。
大学の前期授業が始まってから早くも二度目の週末がやってきました。未だにサークルが完全には決定しておらず、大学生らしくない大学生活を送っているのですが、いまの講義の予復習で精一杯なので、これ以上忙しくなると「モラトリアム」が実行されてしまう予感がするのです。

このようにザコである浪人生に対して、現役合格勢は運動系サークルに入り、授業も出、さらにバイトまで始める始末。この差は一体何?

さらによく見るツイートとして「浪人合格勢の留年ネタはガチ」という不吉なものがありまして、京大新聞の「モラトリアムのススメ」を読みながら通学した私はまんまとそのようになってしまうのではないかと思ってしまうのです。そしてそれを全力で阻止するために、バイト無し、サークルも未定という悲惨な状況になったわけですね。


さて、このまま行くと就活で大変な目に遭います。バイトしてません、サークルしてません、では面接が苦しすぎます。さらにここに「留年しました、留学のせいではありませんしその他真っ当な理由もありません」が追加されると将来が真っ暗になるのではないでしょうか。

さて、今日はもう寝ます。日付が変わってから書いているので土曜日みたいになってますけどこれは一応金曜日の日記です。
いきなりだが、みなさんは目の前に山があって、その山は峠越えの道とアップアウンの無い回り道の2つがついていたとすればどうするだろうか。

もちろん、どちらも同じぐらいの労力になることが予想される。ただ、時間的には峠道のほうが有利だが、体力的には回り道の方が有利であるというような、微妙な状況である。


私はここでトンネルを掘るという捻くれた回答を期待している。


いやこんなことはどうでもいい。トンネル趣味の話がしたいだけで、ちょっとオシャレに哲学的な問いかけをしようとして失敗した。


私は最近トンネルがマイブームである。トンネルというのはあの、山に付いているトンネルである。

先ほどの質問に戻ると、なぜそのような回答を期待するのかということだが、トンネル建設の経済性についても考えたい。確かにトンネル掘削には莫大な予算・労力が必要となる。だからトンネルなんて掘削しないで峠越えや迂回をすることで山の存在に対処してきた。トンネル掘削は一見非常に遠回りな手段であるように見える。

しかし、である。トンネルを掘削することによる経済効果というものまで考えるとトンネルというのは無駄なものではないのである。このことについては明治時代まで気づかれなかったようである。もちろん技術が未熟だったせいでもあるが。


この、従来は著しい遠回りをするか、天候に悩まされながら苦労して峠越えをするしか無かった山に対して、天候に悩まされることなく、最も近い直線状にアップダウンなしで移動できるようにする、それがトンネルである。


だが、私がトンネルに惹かれるのは冒頭から今までの事柄では無い。

トンネルの掘削には様々な困難がつきまとう。異常出水であったり膨圧であったり破砕帯であったり色々であるが、そのたびにトンネル技術者や現場の作業員たちは苦労することになる。最近はNATM工法が主流で掘削作業も随分システマティックになり、昔ほど苦労することは無いとしても、それでも北陸新幹線の飯山トンネルなど今での時々大変なトンネル掘削現場は現れるのである。

ところで、これらの建設上の困難は素人目にわかるだろうか。橋梁の場合は簡単である。明石海峡大橋などを想像するとよいが、橋梁架橋の困難さは素人でも見ればそれなりに直観的に理解できる。しかしトンネルはどうであろうか。

トンネルというものは一度完成してしまうと坑口の外見も内部の壁面の見た目も一緒である。どのトンネルも金太郎飴のように同じようなルックスになるわけです。

この“縁の下の力持ち”感に惹かれるのです。一見どれも同じようなトンネル壁面を見つめながら、このトンネルの掘削にはどのような苦労があったのだろうか、どのような工夫を施したのであろうか、などと想像すると日が暮れてしまいそうである。さらには地元の図書館に置かれている工事誌などを紐解いて情報を蒐集する。そうすると更に興味が湧き、再びトンネルへ赴くことになる。そうしてそのトンネルに対して、強い親近感と愛着を抱くことになる。

このようなトンネルが私は大好きである。しかし、私はトンネル工学へ進む気は無いので、あくまで趣味に留めておくまでである。
先日書いたが私はまだ所属サークルが決まっていない、というか新歓にもほとんど行っていない。

これについて母親に「部費が月に2000円ぐらいするところが多いし、例えばテニサーだったらテニスのラケットとかウェアとか買うお金いるし、やめとくわ」などと言って、あたかもうちが貧乏であるがゆえにサークルに入れないような言い訳をしてしまった。


しかし絶対にそれは無い。


というのも、本当にやりたいサークルがあればそのためにバイトを始めるか親に土下座して部費をせびる程度のことはやるはずである。

だがそういうことは一切せずに、ただサークルの話になれば「部費が~部費が~」と嘆いている。


私は生来“チキン”なのでまず、新歓に行く勇気が持てないことが多い。さらに運動能力に関する自信の無さ故にスポーツ系の部活やサークルの新歓には行けないのである。

どうやらうちの家系では球技は苦手だがテニスだけはできる、という人が結構多いのでもしかすると私もできるのかもしれないが、テニサーというのもミーハーな感じがして何だか敬遠したくなる。

そうして結局いまでも思案しているが、結局はどこにも行かずに終わってしまうのだろう。



さらに言い訳を付け足すなら「四回から嘆きの丘(桂キャンパス)に行くことになるから三回でサークルやめなあかんしぃ」である。

確かに工学部の私が所属する学科では全員が四回生時点で桂キャンパスに往くことになる。

中高一貫校でクラブというものは5年間やるものだという概念が染み込んでいる私にはたったの三年でやめてしまう、しかも二回生が代表者になることが多い大学のサークルという組織には違和感を禁じ得ない。

新しい世界なのだから“郷に入っては郷に従え”という言葉のとおり、馴染みなさいという意見もあるかもしれないが、無理な相談である。

私は元来適応能力が低いのである。言い換えるならば“コミュ障”であろうか。

初対面の人とその場限りの雑談を交わす程度の事なら容易いが、その人と友達になるというならそれは突然難易度が激増する。

なにせ中学校の頃も教室でしゃべる相手は作ったものの一緒に食堂に行く相手はなかなか出来なかったのである。この微妙な距離感である。

クラスで喋る相手はどこかの運動部に所属しており、その部に所属する他の友だちとつるむようになり、クラスが変わった途端に私はその人としゃべることはなくなる、というよくあるパターンである。

クラスが変わってもわざわざ話しに行ったり話に来たりする友達が複数人できるようになるのは高校に入ってからである。いや中高一貫校だから環境が変わったとかそういうのではなく、単に“4年生”になって馴染んできたというだけである。

この馴染むのが遅いということが先ほど適応能力が低いと言い表して言いたかったことである。



さて、どうすれば大学でサークルにも入らずに“友達”ができるのだろうか・・・。
4月8日月曜日の授業開始からはや一週間が経とうとしています。

初週は思ったよりも長く感じられました。去年体験した駿台の初週なんてあっという間に過ぎ去ってしまったというのに。


人生の体感速度の折り返し地点は二十歳とかその辺りにあるとどこかで聞きました。おそらく正しいのでしょう。

駿台の平野先生(英語科)も仰るように、小学生の六年間は異常に長かったように感じられます。それなりに充実していたはずなのに、です。

僕の小学校生活は低学年の頃は友だちと放課後にゲームボーイで遊んだり公園で遊んだりと平凡な小学生ライフを満喫していましたし、高学年になると中学受験のために小学校が終わるとすぐに塾へ行って友達とワイワイ雑談するという日が増えるようになりました。これも帰りの電車内で友達とお菓子を食べたり喋ったりするのは楽しかったですし、塾の内部でも友達とはしゃいだりしていて、辛いということは無かったと思います。
なぜか馬渕教室時代は自学習を一切せずとも宿題さえこなしていればある程度テストの点数も取れたのですが、今思うと不思議でなりません。僕はもしかしたら天才の卵だったのかもしれません。

中学に入るとマイコン同好会という何やら怪しげでギークな同好会に入会し、毎日授業が終わるとクラブ室に行って無為に下校時刻までを過ごすようになってしまいました。そういう意味では小学校六年間のほうが遥かに充実していたはずなので、充実度で時間の感覚が変わるということでは無いんじゃないかなと思います。

やはりこの話になると思い出すのが本川達雄著『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書刊)である。小学生の時に読んだ本であるが、余談としてはこの本の著者紹介欄で東京工業大学という大学を小学生のうちから知ることとなった。勿論それほど難しい大学だとは知らなかったが、すごい先生がいる大学なんだな、程度には知っていた。

この本では動物の身体のサイズと体感時間との相関関係についての話も出てくるのだ。これを根拠とすれば小学校の六年間が長かったように感じられるのは身体のサイズが小さかったせいだということになる。僕はこの説明でわりと納得している。


そして大学生になった僕、である。これから四年間は本当にあっという間に過ぎ去ってしまうと色々な方から言われるが、僕は一人ぼっちの寂しい大学生活をエンジョイしているので、それほどあっという間には過ぎないのではないかな、と思っているのだがこれすらも間違った考えかもしれない。なにせ身体のサイズはでかいのだから。
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自己紹介:
誕生日=1993・04
京都の学校に通ってます。
クラブはESS部だけ。
もはや帰宅部
あと、信者宗研という怪しい
集まりの責任者でもある。

マイコン同好会に復帰しよ
うかとも考えたが、ESS部
の新聞発行全般を任せら
れて、信者宗研の責任者
でもあるため、文化祭が
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