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こんばんは、眠たいです。

唐突ですが、大学生になってアニメを見ても主人公が高校生でウハウハしてるだけで、どうもリアリティがなくてつまらないと感じるようになったことありませんか?

・・・ありませんか。


私は浪人時代もしっかりとアニメを見ておりました。なにせ入試のシーズンである今年の1~3月期にも11本/週を記録する程度にはアニメが好きでした。

それが今はどうでしょうか。確かにレコーダーには、4月初頭、つまり大学生にはまだなっていない時期に予定した16本/週が録画されているのですが、見たアニメはたったの2本。それも両方1話止まり。

もちろんこの二本は今期の本命なので2話以降もしっかり見て行きたいとは思っているのですが、どんどん溜まってます。

とは言いながら、4月に入ってからアニメ映画は2本も見ているので、決してアニメが嫌いなわけではないです。2本の内訳は「花咲くいろは」「STEINS;GATE」で、前者は雰囲気が気に入ってるので嫌になりませんし、それどころかもう一度見に行きたいと思っているほど好きです。後者については主人公が高校生でないので冒頭の根拠でのつまらなさというのは当然無く、ここでは相応しくないかと。

そういえば3月までやっていたアニメでは「氷菓」が好きでした。世間の評判はイマイチでしたが、浪人で荒んだ私の心にはあのアニメこそが精神安定剤の役割を果たしていたような気がします。
見ると心が落ち着くのです。それで、二回ずつ見てました。

アニメを語ってもしかたがないのですが、大学生になって急に価値観が変わった気がします。浪人時代は「浪人してた頃のことなんて忘れねぇだろww」とか思ってたのですが、いまでは浪人時代の憂鬱な気分もはっきりとは思い出すことができません。
ただ、「(浪人時代は辛かったなぁ・・・)」という漠然とした思い出が塊のようになって残っているだけです。

高校生から浪人生になった頃にはさして大きな心理的変化はなかったので、やっぱり浪人生から大学生への過渡期には精神構造が大きくトランスフォームするようです。

最近はいろいろ楽しくて仕方がありません。相変わらず大学では大して友達は出来ないのですが(爆)
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今日はサンジハン!に起床しました。
早起きだって??

冗談はその辺にしておいて、15時半起床でした。なんと13時間半睡眠ですから、よく寝たものです。

先週はなにかと疲れまして、連日ほぼ5時間睡眠が限界でした。そのせいか、ほとんどの講義でも眠たくて辛かったわけですが、これではいけないと思って目覚ましをセットせずに寝てみたんですね。
そうすると13時間半もぶっ通しで寝続けるという結果に陥るのです。

さて、それでも今日は樟葉ロフトへ手帳を買いに行こうと予定していたので家の玄関まで出たのですが、雨。

気分が萎えました。頭も痛かったです。しんどかったです。


いやでも、手帳は今日買うんだと決めていたので、母と妹がイオン大日に行くというから付いていくことに。車だから雨知らずです。

そして、未来屋書店で手帳を色々見ていたわけですが、結局決まったのがコレ。

手帳:2013年4月始まり No.973 リングダイアリー (バーティカル) <黒> || 「手帳は高橋」高橋書店 http://www.takahashishoten.co.jp/notebook/978-4-471-72973-8.html


いやぁ、手帳なんて時代遅れな・・・。と仰るのもよくわかりますが、諸事情がありまして、近頃は書き込む予定が山のようにあるのです。

そういう状況でこそ、Googleカレンダーが便利だと意気込んでいたのですが、やはりこれでは頭の中に予定が整理されないのです。

私の頭は随分とレトロな構造をしているようで、手帳の月間欄に書き込んで初めて脳内のカレンダーにも予定が整理されていくのです。

現代のハイテクピープルにはアナログ人間といわれるかもしれませんし、昔の僕なら迷わずそのように詰っていたでしょう。

しかし、いざ今の私のような状況になったらみなさんもきっと手帳の必要性を感じると思いますよ。
大学の前期授業が始まってから早くも二度目の週末がやってきました。未だにサークルが完全には決定しておらず、大学生らしくない大学生活を送っているのですが、いまの講義の予復習で精一杯なので、これ以上忙しくなると「モラトリアム」が実行されてしまう予感がするのです。

このようにザコである浪人生に対して、現役合格勢は運動系サークルに入り、授業も出、さらにバイトまで始める始末。この差は一体何?

さらによく見るツイートとして「浪人合格勢の留年ネタはガチ」という不吉なものがありまして、京大新聞の「モラトリアムのススメ」を読みながら通学した私はまんまとそのようになってしまうのではないかと思ってしまうのです。そしてそれを全力で阻止するために、バイト無し、サークルも未定という悲惨な状況になったわけですね。


さて、このまま行くと就活で大変な目に遭います。バイトしてません、サークルしてません、では面接が苦しすぎます。さらにここに「留年しました、留学のせいではありませんしその他真っ当な理由もありません」が追加されると将来が真っ暗になるのではないでしょうか。

さて、今日はもう寝ます。日付が変わってから書いているので土曜日みたいになってますけどこれは一応金曜日の日記です。
いきなりだが、みなさんは目の前に山があって、その山は峠越えの道とアップアウンの無い回り道の2つがついていたとすればどうするだろうか。

もちろん、どちらも同じぐらいの労力になることが予想される。ただ、時間的には峠道のほうが有利だが、体力的には回り道の方が有利であるというような、微妙な状況である。


私はここでトンネルを掘るという捻くれた回答を期待している。


いやこんなことはどうでもいい。トンネル趣味の話がしたいだけで、ちょっとオシャレに哲学的な問いかけをしようとして失敗した。


私は最近トンネルがマイブームである。トンネルというのはあの、山に付いているトンネルである。

先ほどの質問に戻ると、なぜそのような回答を期待するのかということだが、トンネル建設の経済性についても考えたい。確かにトンネル掘削には莫大な予算・労力が必要となる。だからトンネルなんて掘削しないで峠越えや迂回をすることで山の存在に対処してきた。トンネル掘削は一見非常に遠回りな手段であるように見える。

しかし、である。トンネルを掘削することによる経済効果というものまで考えるとトンネルというのは無駄なものではないのである。このことについては明治時代まで気づかれなかったようである。もちろん技術が未熟だったせいでもあるが。


この、従来は著しい遠回りをするか、天候に悩まされながら苦労して峠越えをするしか無かった山に対して、天候に悩まされることなく、最も近い直線状にアップダウンなしで移動できるようにする、それがトンネルである。


だが、私がトンネルに惹かれるのは冒頭から今までの事柄では無い。

トンネルの掘削には様々な困難がつきまとう。異常出水であったり膨圧であったり破砕帯であったり色々であるが、そのたびにトンネル技術者や現場の作業員たちは苦労することになる。最近はNATM工法が主流で掘削作業も随分システマティックになり、昔ほど苦労することは無いとしても、それでも北陸新幹線の飯山トンネルなど今での時々大変なトンネル掘削現場は現れるのである。

ところで、これらの建設上の困難は素人目にわかるだろうか。橋梁の場合は簡単である。明石海峡大橋などを想像するとよいが、橋梁架橋の困難さは素人でも見ればそれなりに直観的に理解できる。しかしトンネルはどうであろうか。

トンネルというものは一度完成してしまうと坑口の外見も内部の壁面の見た目も一緒である。どのトンネルも金太郎飴のように同じようなルックスになるわけです。

この“縁の下の力持ち”感に惹かれるのです。一見どれも同じようなトンネル壁面を見つめながら、このトンネルの掘削にはどのような苦労があったのだろうか、どのような工夫を施したのであろうか、などと想像すると日が暮れてしまいそうである。さらには地元の図書館に置かれている工事誌などを紐解いて情報を蒐集する。そうすると更に興味が湧き、再びトンネルへ赴くことになる。そうしてそのトンネルに対して、強い親近感と愛着を抱くことになる。

このようなトンネルが私は大好きである。しかし、私はトンネル工学へ進む気は無いので、あくまで趣味に留めておくまでである。
先日書いたが私はまだ所属サークルが決まっていない、というか新歓にもほとんど行っていない。

これについて母親に「部費が月に2000円ぐらいするところが多いし、例えばテニサーだったらテニスのラケットとかウェアとか買うお金いるし、やめとくわ」などと言って、あたかもうちが貧乏であるがゆえにサークルに入れないような言い訳をしてしまった。


しかし絶対にそれは無い。


というのも、本当にやりたいサークルがあればそのためにバイトを始めるか親に土下座して部費をせびる程度のことはやるはずである。

だがそういうことは一切せずに、ただサークルの話になれば「部費が~部費が~」と嘆いている。


私は生来“チキン”なのでまず、新歓に行く勇気が持てないことが多い。さらに運動能力に関する自信の無さ故にスポーツ系の部活やサークルの新歓には行けないのである。

どうやらうちの家系では球技は苦手だがテニスだけはできる、という人が結構多いのでもしかすると私もできるのかもしれないが、テニサーというのもミーハーな感じがして何だか敬遠したくなる。

そうして結局いまでも思案しているが、結局はどこにも行かずに終わってしまうのだろう。



さらに言い訳を付け足すなら「四回から嘆きの丘(桂キャンパス)に行くことになるから三回でサークルやめなあかんしぃ」である。

確かに工学部の私が所属する学科では全員が四回生時点で桂キャンパスに往くことになる。

中高一貫校でクラブというものは5年間やるものだという概念が染み込んでいる私にはたったの三年でやめてしまう、しかも二回生が代表者になることが多い大学のサークルという組織には違和感を禁じ得ない。

新しい世界なのだから“郷に入っては郷に従え”という言葉のとおり、馴染みなさいという意見もあるかもしれないが、無理な相談である。

私は元来適応能力が低いのである。言い換えるならば“コミュ障”であろうか。

初対面の人とその場限りの雑談を交わす程度の事なら容易いが、その人と友達になるというならそれは突然難易度が激増する。

なにせ中学校の頃も教室でしゃべる相手は作ったものの一緒に食堂に行く相手はなかなか出来なかったのである。この微妙な距離感である。

クラスで喋る相手はどこかの運動部に所属しており、その部に所属する他の友だちとつるむようになり、クラスが変わった途端に私はその人としゃべることはなくなる、というよくあるパターンである。

クラスが変わってもわざわざ話しに行ったり話に来たりする友達が複数人できるようになるのは高校に入ってからである。いや中高一貫校だから環境が変わったとかそういうのではなく、単に“4年生”になって馴染んできたというだけである。

この馴染むのが遅いということが先ほど適応能力が低いと言い表して言いたかったことである。



さて、どうすれば大学でサークルにも入らずに“友達”ができるのだろうか・・・。
4月8日月曜日の授業開始からはや一週間が経とうとしています。

初週は思ったよりも長く感じられました。去年体験した駿台の初週なんてあっという間に過ぎ去ってしまったというのに。


人生の体感速度の折り返し地点は二十歳とかその辺りにあるとどこかで聞きました。おそらく正しいのでしょう。

駿台の平野先生(英語科)も仰るように、小学生の六年間は異常に長かったように感じられます。それなりに充実していたはずなのに、です。

僕の小学校生活は低学年の頃は友だちと放課後にゲームボーイで遊んだり公園で遊んだりと平凡な小学生ライフを満喫していましたし、高学年になると中学受験のために小学校が終わるとすぐに塾へ行って友達とワイワイ雑談するという日が増えるようになりました。これも帰りの電車内で友達とお菓子を食べたり喋ったりするのは楽しかったですし、塾の内部でも友達とはしゃいだりしていて、辛いということは無かったと思います。
なぜか馬渕教室時代は自学習を一切せずとも宿題さえこなしていればある程度テストの点数も取れたのですが、今思うと不思議でなりません。僕はもしかしたら天才の卵だったのかもしれません。

中学に入るとマイコン同好会という何やら怪しげでギークな同好会に入会し、毎日授業が終わるとクラブ室に行って無為に下校時刻までを過ごすようになってしまいました。そういう意味では小学校六年間のほうが遥かに充実していたはずなので、充実度で時間の感覚が変わるということでは無いんじゃないかなと思います。

やはりこの話になると思い出すのが本川達雄著『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書刊)である。小学生の時に読んだ本であるが、余談としてはこの本の著者紹介欄で東京工業大学という大学を小学生のうちから知ることとなった。勿論それほど難しい大学だとは知らなかったが、すごい先生がいる大学なんだな、程度には知っていた。

この本では動物の身体のサイズと体感時間との相関関係についての話も出てくるのだ。これを根拠とすれば小学校の六年間が長かったように感じられるのは身体のサイズが小さかったせいだということになる。僕はこの説明でわりと納得している。


そして大学生になった僕、である。これから四年間は本当にあっという間に過ぎ去ってしまうと色々な方から言われるが、僕は一人ぼっちの寂しい大学生活をエンジョイしているので、それほどあっという間には過ぎないのではないかな、と思っているのだがこれすらも間違った考えかもしれない。なにせ身体のサイズはでかいのだから。
大学合格から一ヶ月、すでに桜も散り始めているにも関わらず今日は寒い日でした。

ああ、もう一ヶ月かと感じている人も居れば、まだ一ヶ月かと感じている人も居るでしょう。私は後者ですが、本当に慌ただしい日々だったことには違いないです。

ただその間にも様々な書籍を読み、色々なところを旅したお陰か、非常に濃密な一ヶ月だったと私は感じております。


ところで、大学生活が始まるとまず訪れるのが履修登録、そして次に新入生歓迎会つまり新歓です。

元来私は活発な人間ではなく、スポーツ、特に球技が非常に苦手なため、サークルの誘いが来ても断ってしまうことが多いのですが、それでもすでに2つだけ新歓に参加させて頂きました。

自宅から出町柳まで電車通学をしているので新歓で23時解散となると終電となり、凡そ0時半頃に帰宅することになります。出町柳から自宅最寄り駅まで行く終電は出町柳駅23時25分発の急行列車なのですね。寝屋川市までで良いと割り切れば48分発まで延びるようですが、それでもその程度です。

昨日はTwitterにて「どうしてサークルに入らなければならないのか」という旨の鬱ツイートをしましたが、ここにも貼り付けておきます。




完全に病んでますが、こういう心境にもなります。私自身は今日、入る団体の目星は付けてきたので、この鬱状態からはひとまず脱せました。

私は大学は学問をする場所だと思っているのでサークルなんてものは余分である。そう言ってみてもそれは自分がどこにも秀でておらず無能な人間であることへの言い訳でしか無いわけです。
私自身個人的にはそもそも大学に行く意味とは良い友だち、良い仲間を作ることにあると思うのです。

いくら学問が出来ても、一人ではどうにもなりません。起業するにせよ、学会で発表するにせよ何かしらの仲間が必要だと思うのです。言い方を変えればいわゆる“コネ”ですが、これがあれば社会で生きていくのは随分ラクになるのではないかと、未だ社会に出たことのない私が言うのも可笑しいでしょうか。

とにかく単位を落として留年して親に迷惑を掛けることが無い様な程度には勉学にも励みたいと思いますが、私が今やりたい学問は物理工学にはほとんど関係のない人文系の学問に属するものなので、悩ましい所ではありますが、せっかく京都大学という素晴らしい環境に属することが出来たわけですから、自学習している学問の講義をわざわざ無理してまで取らなくても、アポを取りさえすれば頼る相手は身近に溢れているのです。

京都大学といえど、取られる一般教養の講義は限られてきます。それは物理工学科のクラス指定科目が多すぎることに起因しているわけですが、自分の専門科目を削ってまで人文系教養の講義を取る必要は無いと思うのです。

私は憧れの佐伯啓思先生の授業を1コマ入れました。高校三年の時に「自由とは何か」という書籍を読み、感銘を受けて以来2年間に亘ってファンであります。

また、「日本文学I」という授業も取っています。これは純粋に日本文学が好きであるということに起因していて、楽勝単位であるとかそういうものではありません。楽勝単位は月曜の一限目に入れているので、あんまり甘えていると自分がダメになる気がして、興味がある講義を積極的に入れることにしました。

結果として期末テストが大変な事態になりそうな予感がしますが、それは仕方あるまいとして、日々の予復習を怠らなければなんとか取れるのではないかと今は意識を高く保っています。

これがいつまで続くかは不明ですが、先輩たちの経験則に拠るとどうも、GWあたりまでのようです。もう少し頑張って一回生前期終了まで頑張った人は無事にストレートで卒業できるらしいです。

長くなりましたが、ここらで今日はおしまいにします。おやすみなさい。
今日は「新入生歓迎 工学部ガイダンス/工学序論・新入生特別セミナー」がありました。

京都テルサで一時からで、12時45分までに受付を済ませよ、という日程でした。これは余裕じゃないかと思い、目覚まし時計を設定せずに寝ました。なにせうちから京都テルサまでは片道1時間半、11時に出れば余裕なのです。

ところが、である。起床すると11時30分、歯を磨いて色々してたら11時40分。完全に間に合わない\(^o^)/

母親に頼み込んで車で送ってもらうことに。第二京阪道路を経由すれば京阪電車の半分くらいの時間で京都につくのである。

すると、決して無理な運転はしていなかったのだが12時半過ぎには着いた。素敵である。会場前に着くのだから。

今日は台風並みの強風と大雨で送ってもらってなければ更に時間を要し、決して時間通りには着くことが無かっただろうから母親には感謝である。


さて、このガイダンスとセミナーであるが、四時間という長時間のスケジュールである。

浪人時代に大嶌先生という、元工学部長の講演を聞いたことがあり、非常に楽しく時間が一瞬で過ぎでしまう心地がしたのを覚えていたので、今回もそうなるかと思っていたが大きな誤解であった。

眠い、ひたすらに眠い。11時半まで寝ていても眠気が襲ってくるほどに眠いものだった。

とはいえ、有意義な話も結構あり、無駄な時間というわけではなかった。


明日は何も無いが、とにかく京都には行こうと思っている。
今日は朝から京都へ向かった。自転車で、である。

京大では自転車は必須のツールと言っても過言ではないようで、自分でも自転車を京都に一台置いておく必要を感じていた。それで、新しくちょっと高い自転車を購入して家に置いておくことにした。

古い自転車を京都においておくのである。そのために今日は京都まで自転車を回送したのだ。

途中の伏見までは父に送ってもらったのでそれほど大変な道のりではない。というか楽だった。

京都駅に着くと10時前であった。今日は4月1日、映画が1000円で観られる日である(エイプリルフールはどうでもよかった)

ということでTジョイ京都へ行って「花咲くいろは HOME SWEET HOME」を見た。これを見終えると11時半だった。ここで猫山氏が出町柳附近を自転車でウロウロしているとの情報が入ったので、一緒に昼飯を食べることにした。

12時過ぎに出町柳の交差点で落ち合った。昼飯は、いい天気であり桜も綺麗だったので鴨川の河川敷で食べることにした。ファミマのサンドウィッチや巻きずしを買い込んで持っていった。

楽しいランチとなった。河川敷は思いの外すいており、すぐに正方形の大きな椅子を陣取ることが出来た。
隣、と言ってもかなり離れているが、の椅子では一脚陣取っておじさんが昼寝していたが、誰も迷惑していない、そんな混雑程度であった。

昼飯のあと雑談をしばらくしてから京都大学へ。今日は京都大学の学生証交付の日なのである。

30分くらいはかかるのかもしれないと覚悟していたが10秒で終わった。ここで、僕たちは満足して残りの暇な時間を如何にして潰すかを話し合い、ひとまず夕方の新歓の集合場所である「吉田食堂」へ行って見ることにした。

これがよかったのである。

吉田食堂に着くと、さすがにまだ何も始まっておらず、ただの食堂である。することもないのでひとまずトイレに入った。トイレには猫山氏と僕以外に二人の見知らぬ新入生らしき人たちがいた。彼らが話していたのである。

「あいつ来んかったらお前ずっと通学証明書発行しようと夕方までかかってたやろ」
「ほんまやな、あいつが青い封筒見てて助かったわ」

青い封筒。確かに学生証とともにそのようなものを渡されたのである。猫山氏と僕は聞き耳を立てていたので、トイレから出たあと慌てて自分の青い封筒を取り出した。

中に入っていたのは京大のIDを有効化する手順であった。このIDは図書館の利用や通学証明書の発行、その他大学生活に書かせない事柄に使うらしい。

なんの説明もなく、勝手に有効化して良いものか不安であったが二人で恐る恐る指示通りにやってみると、「有効化されました」の文字が現れた。どうやら登録が完了したようである。

それで次に、どうすれば通学証明書がもらえるか思案した。ここで登場するのがグーグル先生である。検索してみると、京大には15台の通学証明書などを発行する端末が各所に設置されているらしい。

最寄りの端末を探して操作してみるとあっさり証明書が出てきた。雑である。非常に雑である。こんなにアバウトで良いものか、こちらが不安にさせられるほど雑であった。なにせ割印まで印刷なのだし。

そうこうしているうちに3時過ぎになった。6時の集合なのでそれまで微妙に時間が開いていたので駿台へ行った。我らが母校である。「俺達の二条城(隠語)」である。

そこで二浪している友だちと二時間ほど喋った。久しぶりに会ったので楽しかった。

時間になると京大に戻って生協主催の新歓である。辛い大学デビューとなったわけだが、そのあたりはツイッターに詳しい。要するに以下のコピペである。

【京大生協新歓の俺的まとめ】
①来るべき新生活に目を輝かせアドレス交換に興じる新入生たち。
②ひとまず自分も仮面を被って絡みに行く。
③辛くなってTwitter。
④自然とツイッタラーが集まり始める。
⑤オフ会の様相を呈するように。
⑥二次会は完全にオフ会で、最後には「帰るか。」

「帰るか。」である。「三次会行こうぜ」とか「宅飲み行く人~~」とかではなく、「帰るか。」である。
これほど寂しい大学デビューが有り得るだろうか。だが正直、僕としてもありがたかった。無理してまであのあと飲みに行くなんてそんな気力は無かった。
つまり先ほどの寂しいと言ったのは客観的視点からであり、僕の主観的視点から見ると「非常に素晴らしい」となる。

総括すると、ツイッタラーは皆、超越者であるからして、特に浪人を経験したツイッタラーは様々な大学生の現実をツイッターを通じて垣間見ているということもあり、非常に現実的である。

無駄な足掻きをしないし、初対面なのにツイッタラー同士であるということで仮面を脱いで本性を曝け出して話しているのである。
これほど居心地の良い空間を大学内に持てるというのはこの先4年もしくは6年間、留年すればもっとであるが、それほどに亘る大学生活が非常にラクになることは間違いないとおもわれる。

さらに、工学部であるから女性関係はさして望めない。つまりはそういうことである。

今日はつかれたのでそろそろ寝ますね
今日は3月31日、つまり僕が駿台生である最後の日である。これを浪人生活最終日と呼んでも差し支えなかろう。

京都大学は明日からイベントが盛りだくさんで、今日は自由にできる最後の日と言っても過言ではない。

明日は1日で、映画が1000円で観られるので「花咲くいろは」を見に行きたいのであるが、午前中は自転車の回送、午後は学生証の発行と生協の新歓で埋まっていてとても見に行けそうな感じではない。

以下は日記。
実は昨日は高知県や愛媛県に行っていたので、今日は起床が遅かった。
それで、10時半に起床して11時過ぎに家を出た。

まず、自転車置き場に行って自分の今乗っている自転車の防犯登録番号をメモした。それから大和田駅前のファミマに行ってリリカルなのはのBDの代金を振り込んだ。

三条まで京阪電車に乗って、なぜか酔ってきたので電車を降りてあとの区間は定期券がないという意味もあり、徒歩で出町柳まで行くことにした。出町柳の駐輪場に4月分の代金を支払いに行くのだ。

鴨川沿いに散歩して出町柳を往復し、三条まで戻ってきた。三条駅でちょっと時間を潰してから祇園四条へ。阪急電車に乗り換え、京とれいんに乗り、梅田に行った。なぜ梅田?というと、単に京とれいんに乗りたかっただけである。
せっかく梅田に来たということで丸善ジュンクへ行ってNHKドイツ語講座のテキストと経済の参考書を買って大阪駅前第3ビルを経由して帰宅。


電車で酔ったとかいたが、こんなことは13年間の通学ライフで初めてである。三日間連続でひたすら乗り物、それもバスでヘアピンカーブの峠越えをしたり自家用車で山登りしてこちらもヘアピンカーブを曲がりまくったり、一泊二日で室戸岬・土佐市・道後温泉・しまなみ海道へ行ったりした疲れが出たんだろうと思う。
今日は早めに寝て明日の新歓に備えたい所存である。
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男性
職業:
学生
趣味:
鉄道、パソコン
自己紹介:
誕生日=1993・04
京都の学校に通ってます。
クラブはESS部だけ。
もはや帰宅部
あと、信者宗研という怪しい
集まりの責任者でもある。

マイコン同好会に復帰しよ
うかとも考えたが、ESS部
の新聞発行全般を任せら
れて、信者宗研の責任者
でもあるため、文化祭が
やばい→やめた
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あなたは 人目のお客様です。

※この値は2006年3月1日からの来客者数です。

あなたは延べ 人目のお客様です。

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